先生である理由

「亜貴せんせー!さよーならー!」

「さようなら、気をつけて帰ってね。」

最後の児童が教室を出ていくのを見送ったあと、亜貴はふと壁掛け時計を見上げた。
午後4時。子供たちと少しおしゃべりが過ぎてしまった。 窓の向こう、グラウンドではまだ子供たちが駆け回る音が聞こえてくる。その声に合わせて、窓の前の花壇に植えられたコスモスが踊っているように揺れていた。
さて、これから書類の整理に、授業報告。それから保護者への連絡に明日の授業教材の準備。あ、教室の掃除もしないと… これからの作業を順々に頭に思い浮かべながら、亜貴は手早く机の周りを片付けていく。
「亜貴せーんせー。」

突然の声に亜貴は驚いて顔をあげた。あたりを見回す。

「…柑さん!」

亜貴の目線の先には、成人男性には低すぎる窓枠に無理にもたれるようにして亜貴の恋人──真朱柑がほほ笑みながら立っていた。


*   *   *   *   *


「やっぱり小学校ってなんでもちっちゃいんだなぁ…。高校とは大違い。」

ちゃっかり窓から侵入し、教室の中を見渡していた柑が感心したように言った。
教室の壁は児童の作品や、学級目標、係活動や給食・掃除当番の表など、さまざまな掲示物で埋め尽くされていた。柑はそのうちの一つをいじって遊んでいる。
亜貴は書類の整理をしながらちらり、と柑をみやった。
柑は上下きっちりとスーツを着込み、落ち着いた柄のネクタイまでつけていた。えんじ色の髪の毛を真中でわけて、細身のフレームのメガネをかけている。
なんだか今日の格好はいつもよりきっちりとしている気がする、と亜貴は思った。

──なんだか昔と……

真朱柑は亜貴が高校一年生の時の担任だ。
その頃から黙っていればそれなりに整っている容姿も精神年齢が低いままの中身も全く変わっていないのだが、雰囲気だけは年を重ねるとともに落ち着いたものとなっていった。それに伴い、服装も…。
今日の彼のそれは、昔の柑、真朱先生と似ている。亜貴はそう思った。


*   *   *   *   *


「それにしてもあの頃は、亜貴が教師を目指すなんて思いもよらなかったなぁ。」

教室の装飾を見るのに飽き、柑は大きく伸びをしながら言った。
窓から入る風に前髪が少し揺れている。もう夕日が眩しいくらいに教室の中を赤く染め上げていた。 いつの間にか、遠くから聞こえていた子供たちの声も、聞こえなくなっていた。

「だって、内緒にしてましたから。」

教室内には亜貴のペンを動かす音だけが響いている。

「どうして?」

柑の素直すぎる問いに、亜貴はそっと手を止めて書類から顔をあげた。視線を柑にゆっくりと合わせ、何かを少し考えるようなそぶりを見せたと思うとにっこりほほ笑んだ。

「柑さん。柑さんは私の出た大学、どこだか知ってますか?」

いまいち的を得ない質問を返されて、柑は戸惑ってしまった。

「え…ええと……俺と同じところだろう?」

「そうです。じゃあ、専攻は?」

「社会専攻。ゼミは俺と同じ世界史、だろう?」

こんなことを聞いて、亜貴はどうしたいのだろう。
そんなことを考えながらも、柑は亜貴の質問に答えていく。

「つまり、そういうことです。」

「…え?」

意味がわからない。
柑が眼でそう訴えると、亜貴は困ったように微笑み、少し黙ってからまたゆっくりと口を開いた。

「私、高校のときから真朱先生のことが好きだったんです。」

「………。」

そんなこと、痛いほど知っている。
その言葉に、柑は何も答えられずうつむいた。

「だから、私が憧れた“真朱先生”と同じ道を歩いてみたいと思ったんです。」

はっとして、柑は顔をあげた。亜貴がまっすぐに柑を見つめ、そして笑った。
亜貴の曇りのない笑みに思わず柑は息を飲んだ。
二人の間に一つだけ、風が通り過ぎて行った。

「あ……。」

「じゃあ私、このファイルを職員室に出してきますね。」

柑が何も言えずにいると、亜貴はそう言いながら緑色のファイルを手に立ち上がった。
外はもう暗くなり、影なのか陰なのか、わからなくなっていた。

「柑さんはどうしますか?私の終業時刻まで、まだ間がありますけど。」

亜貴はそう言って壁掛け時計を指差した。スピーカーに挟まれて、時計は正確に時間を刻んでいる。 そうだな、と柑は亜貴に近づき、その桃色の髪をさらりとなでた。


「車で待ってるよ。今日はそのつもりで来たし…。」

それに、と言いながら柑は亜貴の髪に一つ、キスを落とした。

「二人の記念日だし、ね。」


+END+




+一言コメント+
亜貴ちゃんは教師向いてると思います。…私だけかな。
先生は適度に抜けてる方が先生っぽいのにかっこいい方が私はキュンとします。
ここまで読んでくださってありがとうございました。




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