約束




Scene.4

“ただの生徒”。
たった一言がやけに心を締め付ける。痛い。
今、心臓を吐き出すことができたならどんなに楽になれるだろう。

「俺自身を見てほしいって言ったくせに…。」

気がつけば目は涙で溢れかえっていた。
行き場をなくした水滴がひとつ、こぼれ落ちた。頬伝って膝の上へ。
まるで何かに導かれるように静かに流れた。

先生はずるい。
自分自身を見てほしいと言うくせに、私自身を見てはくれない。
先生の気持ちがわからない。不安で仕方ない。
ぽつり、ぽつり。涙だけでなく声までもが堪えきれずに溢れ出しそうだ。
先生、わかんないよ。
私は好かれているの?嫌われているの?
ねぇ。先生は、私の気持ちに気付いているの?

「先生…。」

「依藤!!」

突然名前を呼ばれてはっと後ろを振り返った。堤防を先生がかけ降りてくるのが見えた。
どうして、と思うよりも早く体が動いていた。
今は先生に会いたくない。先生から逃げたい。弱い私を見られたくない。
依藤、と叫ぶ声が何度も後ろから聞こえてくる。
その声はどんどん大きくなり、いつの間にかすぐそばまで先生の気配が近づいていた。

「…捕まえ…た。」

捕まれた右腕は、仄かに熱を感じていた。



Scene.5

「待て、依藤!!」

何度も何度も彼女の名を叫んだ。彼女に止まる気配はない。
このまま、ふわりと宙へ浮かび上がって何処かに飛んで行ってしまう気がした。そんなこと、させるものか。
思いきり腕をのばす。俺の右手が彼女の左手首をとらえた。
同時に、彼女の体がぐらり、と揺れた。傾きかけた彼女を引き起こそうと、俺はつかんだ手首を引き寄せた。急に方向を変えられた力を上手くコントロール出来ずに、そのまま二人一緒に砂浜へと倒れこんだ。

「……捕まえ…た。」

彼女の瞳をまっすぐに見つめる。
本当に捕らえたいものを今度こそ逃がさないように。
俺はしばらく彼女の言葉を待った。いくつもの風が、俺と彼女の間を通り抜けていく。
そのたびに、彼女の綺麗な髪が揺れた。
空を飛んでいるように、踊っているように。
どうして、そんなに楽しそうに。
彼女は、泣いているのに。

「どうしたんだ、何があった?」

声をかけてみたが反応はない。
彼女は俯いたまま、まるで人形のように頑なに動こうとしなかった。
彼女の顔にかかった前髪が、また少し、静かに揺れた。



Scene.6

何があったか、なんて、そんなの私が一番知りたい。
どうして、こんなに胸が苦しいの、とか。
どうして、大好きな先生を前に逃げだしたりしたの、とか。
どうして、今、先生を見ることができないの、とか。
全部、全部……

風がいくつ吹き抜けていっただろう。
先生は、ずっと手を離さずに私の答えを待っていた。俯いて、動かない私の気持ちを受け止めようとして。
すごく、真剣な目をしている気がする。見ていないからわからない。
でも、見なくてもわかる。肌で感じる。
今、先生がどんな表情で、どんな気持ちで私を待っていてくれているか、なんて。

また、涙が流れ落ちた。今度は先生の手の甲。
先生が、私の頬へ腕を伸ばす。
もうすぐ、触れる。あと、少し。本当に、囚われてしまう。
このまま囚われてしまえば、きっと先生は私を大事にしてくれる。
硝子の人形にするように、優しく、大事に扱ってくれる。きっと、これからずっと……。

本当に、それで、いいの?

違う、違う。
そんなことをしてほしくて、先生を好きになったんじゃない。
そんなことをしてほしくて、先生に好きだと言った訳じゃない。

先生と、一緒に歩きたいの。


私は先生の手をおもいきり振り払った。






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